合格証書を手放した話。受かったのは過去の自分。
こんにちは、ぽっつんです。
環境を整えるとき、片づけをするとき、いわゆる思い出品に手こずることが多いです。
そんな中、最近やっと、大学の合格証書を手放しました。
やっと本気で向き合うことが出来ました。
手放す際に自分の弱さが浮き彫り、そのことが新たな決意をもたらしてくれました。
すがっていた過去の栄光
合格証書をシュレッダーにかけた瞬間、何年も前の功績や実績が自分の自信のなさや傷ついた心を支えていてくれたことが分かりました。「今は何もない自分だって、この時はこういう大学に合格できたんだ!こんなに認められたんだ!」と。今の自分がいかに努力せず、向上心から逃れていたかを思い知らされました。
ちなみに小学校時代にとった書道の賞状や、中高時代の読書感想文の表彰状まで保管していました…
捨てるまでは、それを見るたびに自信をつけていたんです。それ自体はとても良いことと思いますが、”今の自分が何も挑戦しない言い訳”に成り下がっていました。
こんな言葉にしか直せないのですが、もうほんとに情けなかったのです。
今の自分の自信は、自分で作っていこう
だからといって、十年まえの自分にいつまでも守ってもらっているわけにはいきません。読書感想文でいくら賞をもらったって、書道がちょっとできた過去があったって、今の自分には関係ないし(読書や書道を続けていれば別でしたが、とっくの昔にやめたので)就職の足しにもなりません。まして、永遠にそれを持ち続けていては、これから増え続ける大学の教材などのスペースが確保できません。
自分で自分の首を絞めるなんて皮肉、面白くないです。
では今の自分に自信を与えるものは何か…ワクワクさせるものは何か、今の自分しかいません。なんなら未来の自分への先行投資をするなら今です。大学二年生の春休み。一か月は自由に使える時間があります。使わない手はありません。
というか正直、だらだら過ごすには限界があります。
義務教育の頃、学校に通わなかった時期があるのですが(また詳細をお話ししたいです)、その頃も、うだうだごろごろして楽しかったのはせいぜい一か月が限界でした。ゲームなんかもそうですが、人間案外忙しいのが好きみたいです。何が起こるかわからない未来にワクワクして、自分を奮い立たせるのも悪くないもんです。
では何をするか?
ここからは完全に個人の具体例であり、まだまだ目標に向かっている途中です。
メリットを知ろう
英語の勉強を真剣に始めることにしました。普通に大学の講義カリキュラムでも週に三回や四回は何かしら英語の講義がありますが、やっと気づきました。
人に言われてやらされるものほど面白くないものはない!と。
ちなみに私は英語教員の免許を取得するという選択を自分でしました。だから、無理やり…でもないような状況ですが。
でも別に英語がいだったわけではなく…中学時代尊敬していた先生がたまたま英語の先生で、私の大学での所属的に何かしらの免許を取得する義務があるから…というのがウソ偽りない理由です。もっと細分化すれば他にも理由はありますが。せいぜい”(大学の)英語の先生は優しいからすぐ単位くれるよ”とかそんなもんです。しょうもないですかね。(ネイティブは基本的に本当に優しいです。日本人の方は単位の取りやすさの差が激しい…)
ちょっと脱線しましたが、とにかく「必修の授業」って、その呼び名からしてやる気が出ません!同じ英語でもコミュニケーション系からイギリス史からエッセイから…いろいろあります。で、英語を選んだ理由が理由ですから、実は英語をものにするメリット
英語を本気で学ぶとはどの程度のどんなもんか、わかっていなかったのです。
基本的に物事のメリットとデメリットは表裏一体、どんなことにも良い面と悪い面と…どっちでもない面とあります。
大学受験に向けた表面的な英文法などはやってきましたが、実践的な英語を本気でやるということを実感していなかっったです。
外国の友達ともっとちゃんと話したい…とかは思ってましたが、思ってるだけ、でした。
ちょっと長くなったので、続きはまたの機会に。
(「誰にも奪えない財産」というタイトルの予定です)
ではまた
ではまた