昔の自分
今週のお題「私のアイドル」
昔の自分は今よりもずっと賢かった、という印象がいつまで経っても抜けない。
今の私の年齢からすると、昔というのはティーンエイジャーかそれよりより幼いということになる。
それから、賢いという言葉は幅が広すぎてそれだけでは大抵説明がつかない。今回は「口数の少なさや自我の強さ」という意味合いで使っている。
また今回はアイドルというのを人物ではなく英語で理想や憧れを表す言葉として使う。
かつての自分はどうも大人しかったらしい。会う人ごとに大人しい・真面目そうと言われた。
時折それらの言葉をポジティブに受け取って謙遜する人もいるけれど、私にとっては頭が悪そう・意見が無さそうと言われている気がしてあまり好きではなかった。
しかし実際、口数の少なさに関してはむしろ率先してそうしていた。
なぜなら口数が多いことは頭が悪い人間がやること・言葉の説得力を失わせてゆくことと考えていたから。
(それ自体が愚かだったと今ではわかる)
思春期を迎えた頃からコミュニケーション能力の低さに悩まされるようになり、解決策の1つとして"お喋りになってみる"という方法を取ってみた。
これが良くも悪くも効果を発揮した。
それまでは「鶴の一声」になることばかりを意識していて、言っていい発言と悪い発言を人のリアクションから判断するということはしなかった。
自分だけの基準で話す内容を決めていた。
だから例えば正直にこだわり過ぎて通り「それ変だね」と素直に言ったり、努力している人間を安易に責めてはいけないと思い「頑張れ」を頑なに言いたがらなかったりした。
それには良い面も悪い面もあったけれど、少なくとも島国の単一民族としてはとても不利に働いたと思う。
だからお喋りを実践してみて多くのことを学んだ。
ところが、再び今になって自分らしさを取り戻したくなったのだ。
本当はずっと。
それに、お喋りな人という経験を得て改めて、元来の良さを取り戻したいという欲も出てきたらしい。
しかし一度癖付けた習慣というのはなかなか治らない。
もちろん積極的に人と会話することは脳の活性化にも繋がるけれど、元々口下手な人間が口数を増やしただけで全ての会話が上手くいくわけではない。
ちなみに後悔はしていない。昔より今の自分の方が好きだ、という面も増やせたから。
それに、過去に遡る事は二度と出来ない上に、人間の長所と短所は紙一重。長所だけが存在する事はできない。
それを分かった上で、過去の自分のとある一面に憧れを抱き続けている。