ぽっつん大学生のミニマリスト生活

大学生が、必要最低限で丁寧な暮らしを目指すブログです。物質的なことはもちろんですが、精神的な側面も。

自分と違うことに安心する

こんにちは、ぽっつんです。


以前、「人間関係の断捨離」といったテーマで記事を書きました。


それに関連しているような、していないようなお話を一つ。


最近、飲みに行く機会があったのですが、そのお相手と私はどうも思考回路がかなり違う様子。


なんとなくだけど、「どういうところで人に気を使うか」とか「どういう言動が嫌いか」という部分が全然違うんだろうなぁ、と感じる人です。


念のためですが、その人の人柄を決め付けたいわけではありません。

ヒュームやバークリーのように、「性格」というものが存在するのかも危ういと思っています。


その上で、「なんか自分とは違う人だな」と感じました。


そしてそんな相手のことを、とても好意的に感じました。


昔は、自分と似ている人が好きだった


幼い頃、よく「変わってるね」と言われました。


今から思えばアレ、大した意味はなかったんでしょうね。何故なら大学生になった今、周りに変わった人がとても多いから笑

そして、変わってるねと言われた経験のある人ばかりだと知ったから。

朝会っておはようと言うようなもんだったのですかね。(違う)


ただ私の場合、もっと根本的な、喜びの在り方とか、勇気の基準といった、発想自体が周囲となかなか共有できませんでした。これも、もしかしたら当たり前の事かもしれません。

人間誰しもが個性を持っているから。


考え方を共有できる人間は少ない。


当時の私は、多分孤独を感じて、自分をわかってくれる人を探していました。

というより、自分を認めてくれる人。おかしいとは思わない人。


そうして、安心感を得たかったのかもしれません。


類は友を呼ぶとはよく言いますが、昔から私の周りには、変人で有名なたちばかり集まっていたように思います。


そして、それが心地よかった。


なんなら、「自分とは違う人≒普通の人」を軽蔑し、忌み嫌っていました。マジョリティだからって自分たちだけが正しいような言い方をして、と。

ここで言うマジョリティの定義については今は触れませんが、とりあえず「普通はこうだよ」といった言い方をする人が嫌いでした。


人と違うことをするのを恥ずかしがったり、誰かとお揃いにしたり、トイレまで一緒に行ったり、共通の敵を作ったり。


お返しやお世辞という常識の縄にがんじがらめに縛られていたり。


そんな人々を心のどこかで疎んでいました。


だけど、先日のあの人。


あの人はきっと、上記の特徴に全部当てはまりそう。


そう感じた人でした。


だけど、不思議と嫌悪感はなかった。


むしろ微笑ましかったです。


人間は本来、孤独な生き物だと思います。

でも、似ている人を探して、その孤独から逃れようとする。

けど無理ですよね、少なくとも物理的にも。

一人で生まれて一人で死んでゆく。

テレパシーも使えなければ全く同じ人間は一人としていない。


だけど、似ている人と一緒にいると、あたかも自分と同じ人間がいるように錯覚するんです。


多くの人間が5%の共通点を持っているとして、その似ている誰かとは30%共通点を持っているとしましょう。

すると何故かいつの間にか、「私たちは100%同じだ。ずっと一緒なんだ」と勘違いを始めます。


少なくとも私はそうでした。


その勘違いが、全てのすれ違いを生んでいた気すらします。


ちょっと違う部分を見つけたり、相手が自分の思い通りにならなかったりすると、怒りがこみ上げる。


怒りというのは二次感情なので、その裏には必ず別の感情が潜んでいます。

この場合は孤独ですよね。


また話を戻しますが、私はその人と一緒にいる時、常に孤独でした。


もっと言うと、「私は孤独なんだという事を忘れないでいられた」んです。


だから、本当の意味で寂しさを感じずにいられて、心地よかったんです。


なんだか伝わった気がしないけど、今はこれ以上は言語化できないのでこのへんで。